はじめに
人は豊かな人生を送るために、自分の夢を叶え自己実現するために頑張っています。そして、人はいろいろな努力や挑戦をし、少しでも向上しようとしているものです。
でも、全ての人が自分の夢や希望を叶えているわけではありません。夢と現状に折り合いをつけ妥協している人の方が多いのではないでしょうか。
それでも人生は続いていきます。
私は、半世紀以上生きてきましたが、思い通りになったことは、数回しかありません。妥協したことの方が遥かに多い人生だと思います。
人生は決して甘くはなく、厳しいものです。しかし、この映画は、厳しい人生に希望を与えてくれます。
そして、人生を力強く歩むための生きるヒントを与えてくれます。
また、人生には、無駄なものなど全くなく、起きた出来事のすべてに意味があると教えてくれます。
人生は一か所だけの“点”で見るのではなく、長い“線”で捉えることが大事だと語りかけてくるような内容です。
鑑賞してほしい人
この作品を見てほしい人をあげてみます。
子育てで悩んでいる人。
人生がうまくいかないで苦しんでいる人。
母子・父子家庭で、現在子供を育てているお母さんやお父さん方。
教育に携わっている人々。
などです。
人生に行き詰まって立ち止まっている人。
受験に失敗して呆然としている人。
過ちを犯して再生しようと頑張っている人。
などの人々です。
それでは、この映画の素晴らしさについて解説していきましょう。
少年たちを育てた大人たち
物語は3人の少年時代から始まります。黒人少年アンソニーと白人少年スペンサーとアレク2人の小学校の出会いからです。アンソニーは札付きの悪で、校長室で叱られる常習犯です。
スペンサーは読解力に乏しく、アレクは注意散漫児です。2人ともADD(注意欠陥障害)の疑いがあります。共にシングルマザーの家庭なのです。
その母親2人は担任教師に呼び出され、「母子家庭の子供は統計上問題を起こす可能性が高い。」と伝えられ憤慨します。このころの母親や子供たちには夢や希望は全く見えません。
スペンサーは、アンソニーと一緒にしでかしたいたずらのことで母親にこっぴどく叱られます。
彼は、神に許しを請うことを通して、自分の存在価値について自問自答し、反省します。一見この家庭には問題があるかのように見えます。
しかし、母親は厳しく叱りながらもしっかり愛情を注いでいました。そのおかげで、スペンサーは神に祈ることを通して自分の過ちを振り返ることができていました。
常に叱るだけでは、子供は反省することはないのです。
やんちゃな子供の子育てで悩むのはこの家庭だけではなく、どこの家庭も同じだと思います。
叱っても叱っても、愛情を注ぎ、子供としっかり向き合う教育は決して間違ってはいないものです。
また、この3人を優しく接してくれる教師もいた。社会の授業で彼らの興味のある史実について調べて情報を与えてくれました。素行が悪くてもそのことには目をつむり、彼らの知的好奇心を伸ばしてくれる教師だったのです。
主人公の3人が不安定な少年時代を過ごしても、道を外さず、立派な若者に成長できたのは、彼らと向き合い、深い愛情を注いだ親や教師たちのおかげでなのです。
運命的な人との出会い・つながり
3人の少年は素行が悪く、教師に対する反抗的態度のせいで、校長室に再三呼び出されます。しかし、3人は呼び出される度に出会い、仲良くなり絆が深まっていきます。
時が過ぎアンソニーの転校やアレクが父親に引き取られたりすることで3人はバラバラになってしまいます。
しかし、スカイプやSNS等で連絡を取り合い、青年になるまで、その友達関係は続いていきます。
少年時代に分かれても、青年になるまで友達関係を保てるのは少年時代の絆が強かったからでしょう。
スペンサーが一念発起し、軍隊に入るために努力し始めたのは、アンソニーとの会話がきっかけでした。
アンソニーがスペンサーの中途半端なところを揶揄したことで、彼の心に火つけ、軍隊に入隊することになりました。
また、アンソニーは、彼に大切な言葉を残しています。スペンサーが、希望の軍隊の部隊に入れず「これでは人を助けることができない。」と嘆きました。
そのとき、「どんな仕事についても人は助けられる。大切なのは生き方だ!。」と言ったのです。後でのその通りになるから不思議なものです。
スペンサーがファーストフードでアルバイトしていた際に出会う軍人とのエピソードも忘れられません。
憧れの軍人に出会えたからこそ、「空軍のパラレスキューに入隊する。」という明確な目標ができたのです。
また、スペンサーを指導した女性上官の“大らかさ”が彼の後の行動力に磨きをかけます。誤報により発生した軍構内の危機的状況下で、彼は上官の命令を無視して敵に対峙しようとします。
本来なら規律や命令違反等で、軍法会議なのでしょうが、上官は“馬鹿だ”とジョークにして笑いとばしただけで彼の行動を全く咎めませんでした。
このことは、後にテロリストを見た瞬間に突進していった彼の勇気と行動力を高めることになりました。
敵に対して勇敢に立ち向かうスペンサーの個性を伸ばすよい指導だったと言えるでしょう。
さらに、重症患者に対する処置の訓練も印象深いものです。スペンサーは「頸動脈を損傷している負傷者を止血するとき首自体を絞めることになるが、どのように止血したらよいか。」と質問します。
上官は、「首を絞めることはできない。そのときは神に祈るしかない。」とジョークまがいで答えます。適切な指導とは言えませんが、スペンサーの心に強く残ったようでした。
いつも彼は神に『私を平和の道具にしてください。』と祈っていました。だから、このような状況になったときどうするべきか自分自身でシュミレーションしていたのでしょう。この経験も後に活かされることになります。
テロリストに撃たれた乗客は訓練と同じように頸動脈を損傷し出血します。その状況を見たスペンサーは、瞬時に判断し、首自体を絞って止血するのではなく、2本の指で損傷した部分のみを抑えて対処します。
負傷者を救急隊に引き渡すまでの間、長時間指で押さえていました。
スペンサーは軍隊で人命救助と敵との戦い方を身に付けえいました。子供の頃から無鉄砲で勇敢なスペンサーだからこそ、訓練で身に付けた知識と技能を発揮し、多くの命を救うことができたのでしょう。
観光映画としても秀悦
スペンサーとアンソニーは、ヨーロッパの有名な観光地を訪れます。まず、イタリアのローマでコロッセウムやコインを投げると願いがかなうとされるトレビヴィの泉など有名所を堪能します。
ここで映しだされるローマはとても美しいものです。名作映画「ローマの休日」の場面と重なりますが、彼らは真実の口やスペイン広場は訪れなかったようです。
水の都ヴェネチアで仲良くなった美しい女性と一緒に3人でジェラードを食べます。男2人のむさくるしい男旅が女性の同行で華やかになっていきます。そして、全てのシーンが一幅の絵のように輝きを放ちます。
次に、ドイツでレンタル自転車に乗り、ヒットラーが死んだとされる場所を訪れます。ガイドの説明からヒットラーの死についてドイツとアメリカの解釈が異なっていることを知ります。
私も“総統地下壕で妻エバ・ブラウンとともに自殺した”と思いこんでいたのでその情報は非常に興味深く見てしまいました。
それから、バーで出会った初老のミュージシャンの強い勧めで、オランダのアムステルダムに行くことになります。
ここで、2人はアレクと合流します。3人はアムスダムのクラブで大騒ぎをし、二日酔いです。
健康的な若い男性ならこの行為は不思議ではありません。旅行気分が手伝って、若気の至りということかもしれませんね。
最後にスペンサーのパリを見てみたいという希望が他の2人に受け入れられ、15時17分のパリ行きの特急に乗ります。
旅行の場面は淡々と進み、何も起こらりません。普通の観光旅行のPRのような豊かな映像が印象的です。
きれいな景色、おいしそうな料理やアルコール類、知的好奇心を刺激する場所や建物等、ちょっとした旅行気分を味わえます。
ここまでは、安心して見ることができるのですが・・・。
手に汗握る本物のアクション
列車に乗った3人の前にいきなり、銃を持ったテロリストが現れます。しかも、乗客に向かって、第2の攻撃を仕掛けようとします。
友人の「スペンサー、ゴー。」という掛け声と同時にスペンサーは銃を構えたテロリストへ向かって走り出しました。
テロリストは自動小銃の引き金を引きますが、弾丸は出ません。そのすきにスペンサーはテロリストに飛びかかります。
それから、テロリストと3人の息詰まる攻防が続きます。テリストを羽交い絞めにしたスペンサーをアレクとアンソニーが援護します。
テロリストから自動小銃を取り上げても、拳銃やナイフで抵抗してきます。首や指を切られ出血しながらもひるむことなく勇敢に戦い続けるスペンサー。自動小銃の台座でテロリストの顔を何度も殴打するアレク。
後ろから首を絞めテロリストを気絶させたスペンサー。すぐさま負傷者の処置にあたる3人の素早い動き。傷口を止血しながらも、負傷者を励まし続けるスペンサー。3人に協力を申し出る勇敢な紳士。奪った自動小銃を持って他に危険はないか電車内を走りまわるアレク。悲鳴をあげて体を震わせる乗客たち。
約3分程度のアクションなのですが、本当にリアルです。それもそのはず、3人の青年は自分自身を演じているのです。監督は、このシーンをリアルに表現するために彼らに自分を演じさせたのです。
実際に事件に直面した者にしかこの緊迫した空気は表現できないのです。修羅場と化した電車内の緊張感をそのまま表現するには、この手法がベストだったのでしょう。
鑑賞後に分かったことですが、3人に手を貸した紳士や、乗客、救急隊員など実際に事件にかかわった多くの人たちが実際に出演していました。
映像からただならぬ閉塞感と緊張感が伝わってくるのはその演出のためです。
おまけに、撮影も実際に特急タリス号の車両内で行ったらしいです。ここまでこだわつたからこそ、現実の出来事により近い迫力のある映像になったです。
勲章授与式のシーンは本物
ここではフランス大統領から勲章を授与された実際の映像が使われています。印象に残るのは、主人公3人の満足した笑顔はもちろんのこと、彼らを育てた母親たちの表情です。
憶測ですが、母親たちは自分の子育て、特にシングルマザーの家庭は、自分の育て方について常に不安があったのではないでしょうか。彼らが少年時代に、母親たちが眉間にしわを寄せて、子供と向き合っていた場面を思い出します。
それと比較すると、この「レジオン・ドヌール勲章授与式」の表情はどうでしょう。皆、満面の笑顔です。
母親達の努力により、3人とも立派な青年に育ったのです。札付きの悪だった少年たちは、成長して英雄となり、母親たちの自慢の息子になりました。
母親の笑顔は、この映画の最高のシーンです。
終わりに
『事実は小説より奇なり』という言葉がありますが、まさにその言葉が当てはまる作品です。
フィクションに伏線があるのはあたりまえですが、ノンフィクションの人生にも伏線がたくさんあるということを知りました。
そうです。人生には無駄なものなど一つもなく、未来を信じて、一日一日を一生懸命に生ていけばよいのです。
上映時間は94分と短めですが、ドラマチックなストーリー、手に汗握るアクションシーン、感動的なラストシーン等が凝縮されていて、いい映画を見たときのカタルシスと満足感を得ることができます。
監督は適度な演出と抑え気味の美しい音楽で、作品をさらに格調高いものにしています。流石、大御所クリント・イーストウッド監督です。
異色の作品ですが、一見の価値ありの内容です。
まさに一期一会の映画なのです。この出来事を映画化し、英雄たちの素晴らしい行動を世界に広めた監督クリント・イーストウッドに敬意を表したいと思います。