「フィンランドの教育は、なぜ世界一なのか」を読むとわかる日本の教育との相違点(書評)

はじめに

岩竹美香子氏の著した「フィンランドの教育は、なぜ世界一なのか」を読みました。この本には、岩竹氏が子育ての時期に日本とフィンランドで生活した経験から感じたことを、二国の違いに焦点を当てて書かれていました。

筆者紹介

岩竹美加子(いわたけ・みかこ) 1955(昭和30)年、東京都生まれ。早稲田大学客員准教授、ヘルシンキ大学教授を経て2019年6月現在、同大学非常勤教授(Dosentti)。 ペンシルベニア大学大学院民俗学部博士課程修了

                   http://bookandbeer.com/ より

フィンランドは、何年も前からPISA(OECD加盟国を中心として3年毎に実施される15歳を対象とした国際的な学習到達度テスト。 読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野がある)で常に上位を占めていました。ですからどんな教育をしているのかとても関心がありました。

最近の調査を見てみると、読解力(3位)、数学的リテラシー(11位)、化学的リテラシー(3位)となっています。

日本はというと、読解力(11位)、数学的リテラシー(1位)、化学的リテラシー(2位)となっていました。(下図)

フィンランドの課題は「数学的リテラシー」、日本は「読解力」ということになります。この表からフィンランドと日本はだいたい同じくらいの学力なのだと思いました。

しかし、この本を読んでみると、あまりにも教育に対する考え方が大きく違っていたのです。

ウェールビングという概念

文章の中にウェールビングといる言葉がよく出てきます。フィンランドでは、ウェールビングは権利とともに教育の柱になるものです。その意味は、健康・日常生活の快適さ・自尊心を育む・自己肯定感がある・性的充足・虐待、差別やいじめがない etcです。

ウェールビングとは教育の柱だけではなく、日常生活全てが含まれる、社会、国家のあり方の柱なのだそうです。

私は、個人で考えると「幸福指数または度合い」のようなものではないかと捉えました。いずれにせよ、日本社会にはない考え方です。

日本には公共心という言葉があり、みんなのためにごみを拾ったり、ボランティアをしたりすることがありますが、ある意味、個人主義の国でもあります。それは、考え方が多様で国政でさえまとまらないこともあるからです。

しかし、フィンランドは、一個人も、政府も、国家そのものがにウェールビングという考え方が浸透し、皆が同じ方向を目指しているようです。

学校教育

全校学力学習状況調査やテストがない

フィンランドには、テストはありません。一人ひとりの子どもの関心や目指すものは異なると捉えているからです。さらに、子どもが自分らしく発達していくことが、大事で、それはテストで測ることはできないという理由からです。

このような考え方が教育の根幹にあるので、順位を競ったりすることには意味がないということなのです。

日本のように30億円もつぎこんで、全校学力学習状況調査を一斉に開始し、学力を測ることはありません。日本はその費用でIT機器を充実させたり、人員を増やしたりすることにお金をかける方がよいのかもしれません。今後、遠隔授業の整備の予算を確保し、それを充実させる必要があると思います。

学校行事はない

はっきりとした入学式や卒業式がありません。もちろん運動会もクラブ活動もありません。一斉就職という仕組みもないそうです。

一斉に就職するということは、雇用者や国の経済にとって都合がいいけど、個人のウェールビングを考えたものではないからなのです。学生と社会人という境界線もないようです。

日本の学校は行事を大切にします。入学式、運動会、卒業式の3つはどの学校でもあたりまえのように存在します。そして、月1回程度の参観日、集団宿泊学習、修学旅行などは行事の定番となっています。

最近ではコミュニティースクールの事業が盛んになり、(県によって温度差はありますが)地域と連携した行事が新たに生まれている学校もあります。教師の業務改善が進まない要因の一つです。

私は、新型コロナウィルスのせいで、いくつかの行事がなくなっていくのではないかと予想しています。その上、学校の始業が世界標準に合う9月開始になる可能性が高くなってきました。これは日本の教育システムを見直し、行事を少なくし、業務をスリム化する機会だと思います。

宿題はない

宿題は基本的にはありません。(ときどき出ることもあるようです)夏休みの宿題もないそうです。なぜなら、休みは、休むためのものだからなのです。過剰な勉強を子どもに課す学校文化がそもそもがないのです。

ランドセルはない

日本では、ランドセルを背負って登下校することが、当たり前ですが、フィンランドは、小ぶりなナップザックだけそうです。それですむのは、教科書や教材は全て学校に置いているからです。

ナップザックの中は筆記用具と数冊のノートです。給食当番もないので、給食袋を持参することもありません。学習に必要なものは、全て学校にあるようです。重いランドセルを背負って、汗だくで登下校する1年生の姿は、フィンランドでは見られません。

クラスの人数は少ない

フンランドの1クラスの子どもの人数は20~25人です。日本は1年生35人、2~6年までは、40人です。フィンランドの方が一人ひとりにきめ細かい指導をすることができると言えるでしょう。

いじめ対策はある

フィンランドもいじめに対して、いろいろな手を尽くして対応しています。日本と異なるのは、いじめの予防に力を入れていることです。

いじめ予防に「キヴァ・コウル」というプログラムを実施して、全国の小中学校でいじめの予防対策をしています。キヴァ・コウルとは心理学者が開発しました。いじめとそのメカニズムに関する長年の実証実験的な研究から開発された有効なプログラムです。

これらのことから、いじめに対する研究は日本より歴史があるのではないかと感じました。

ネットによるいじめには、法律と警察を入れて対応していました。また、「いじめは、関わり合いのスキルの問題」と捉え、保育園の時期から、いじめの話や、人との関わり合いについて遊びを通して学び取らせる努力をしていました。幼いころから「権利と義務」についても徐々に教えていくそうです。

親の負担はとても少ない

親は基本的に子どもに干渉しないそうです。ある年齢になればその子の生き方として、認め、尊重していくそうです。日本の若者より、精神的に早く大人になるのではないでしょうか。

また、PTA活動もなく、それに代わる「親たちの組織」というものがあり、その組織に入っている有志の保護者が日本のPTAのような活動を牽引しています。

岩竹氏は日本のPTA活動に加入するか否かで、脅しのように入会を迫られた体験から、その組織の異常さを訴えていました。「親たちの組織」は、とてもにフランクで、和気あいあいと活動できたようです。もちろん強引に迫るようなことはなかったのです。それは、子どもにとっても親にとっても意義のあるものだったと言い切っています。

そして、最大の違いは、教育費は全て国が負担するという国の仕組みです。日本では、経済的な理由から高校や大学に進学をしない学生がいます。

フィンランドでは、学費の障害がないので学ぶ意欲のあるものは、どんどん伸びていくのです。親は学資保険などに入ることなく、生活を豊かにするためにお金を使うことがきます。

このように親は子どもの教育に関して全くストレスを感じないそうです。

終わりに

以上のように日本との違いがたくさん書かれていました。

私は日本になく、フィンランドにあって感心したものは、「学び方を教える。」「権利と義務を教える」「ウェールビングという概念」の3つです。

そして、日本は「主体的で対話的な深い学び」「道徳の教科化」「学校・家庭・地域の連携」等で同じようなことをねらっていると思いました。

その上、フィンランドと日本の教育システムが大きく異なるは、民族性や歴史的背景が違うからだとも思いました。

日本もフィンランドと同様、長い歴史の中からその国民と社会のシステムに最適な教育システムを構築し、現在も進化しています。

この本にあるフィンランドの取組は、日本の教育システムを振り返るよい指標となると思います。

フィンランドの教育について、さらに詳しいことを知りたい方は、是非、一読することをお勧めします。

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